東京千代田区で開催された江戸天下祭。
小雨降る悪条件となりましたが、横須賀の代表として里帰りしてくれた大工町・せ組と西新町・旭組の両町がここ横須賀の心意気を見事に披露してきてくれました。
そんな中、祢里の順行に陰で力になってくれた縁の下の力持ちたちもたくさんいましたので、今回はそんな皆さんにスポットを当ててみました。
遠州横須賀江戸天下祭実行委員会の皆さん。お仮屋の脇にPRブースを設け、会場へ訪れる山車・祭りファンたちに三熊野神社大祭をしっかりPR。横須賀の町の皆さんの凄いところは、誰に言われるでもなく、自らできることを進んで行動すること。毎度のことですが頭が下がります。
祢里説明係の設置が義務付けられていましたが、大工町・西新町共にオリジナルパンフレットを用意し、見学者たちに説明。その親切丁寧な対応に来場者からは賞賛の声が聞かれました。
ここ横須賀を愛し、祭りにこだわる祭り人集団だからこそ、このような丁寧な対応ができるんでしょうね。
説明している様子を見ていると、お祭りへの熱意が伝わってきます。
ここ遠州横須賀へ江戸の祭り文化を伝えた横須賀城主の末裔であられる西尾様が会場へお越しくださいました。
まさに江戸天下祭。
横須賀でも毎年、お宮でご上覧いただいていますが、この天下祭という場で城主にご上覧いただけたことは大変幸せなことですね。
夜の順行では沿道の皆さんがここ三熊野神社大祭のチラシを持っていてくれました。
これには横須賀総代会の皆さんはじめ実行委員会メンバーが重いチラシを抱えながら配布してくれたためです。
おかげで、沿道のチラシ所有率はきっと9割以上だったでしょうね。持参したパンフレットがあっと言う間になくなってしまいました。
こうして、華のお江戸でここ横須賀のPRを十二分に行ってきました。
天下祭に参加し、他の山車や祭り文化を知ることができ、大変勉強になりました。
ちなみに、今回参加されたとある町は、我が拾六軒町の24軒を上回る(?)18軒というところがありました。
が、全世帯からの協力は得られず、毎年、運営に大変苦慮されているそうです。
そう考えると、全世帯が理解し協力し合っていられる今の我が町の環境は凄いことであると共に、これからも継承していかなくてはならないすばらしい祭り文化であると痛感しました。
関東のすばらしい山車及び祭り文化と肩を並べさせていただき、多くを学ばせていただいた天下祭だったように思います。