第14代遠州横須賀城主・
西尾隠岐守忠尚公がお亡くなりになられたのは宝暦10年(1760年)3月5日。
本日、西尾家の末裔であられる西尾忠愛様を東京よりお迎えし、忠尚公のお墓のある龍眠寺にて墓前祭(没後250年)が行われました(主催:大須賀郷土研究会)。
龍眠寺住職が墓前にてお経をあげるなか、集まった約80名がご焼香をし、忠尚公を偲びました。
また、横須賀の今のお祭り文化をこの地へ伝えたのはこの忠尚公とあって、
三社祭礼囃子保存会の皆さんによるお囃子の墓前奉納が行われました。
墓前でお囃子が奉納された記録はないそうで、忠尚公にとっては250年ぶりのお囃子となったことと思います。
今もここ横須賀のかけがえのない文化として祭り文化が根を張っていることを、お喜びいただけたでしょうか。
お経と奉納の後は、お堂にて現当主の忠愛様のご挨拶と、郷土研究会・K原さんによる講和もあり、みなで忠尚公を偲びました。
「1652」さま、今日の墓前祭にはありがとうござました。
250年の時を越え、これだけ大勢の方が集まってくれることは本当に素晴らしいことですね。
江戸天下祭を横須賀に伝えてくださった「忠尚公」はじめ、歴代のお殿様方も、さぞお喜びくださったことと思います。
遠州横須賀の奥の深さをあらためて感じた「墓前祭」でした。
kasaiyaさま、お疲れさまでした。
三社祭礼囃子を奉納していたときの忠愛様の笑顔が忘れられません。同様に忠尚公もお喜びいただけたのではないでしょうかね。
また50年後、同じように顕彰できたらいいですね。
なんという偶然!
この日「とびっきり静岡」の取材で、山中酒造さんでちょうど三社囃子のお酒の話をしているときに、太鼓の音が聞こえてきてたんですよ!
ち組・あ組の稽古場からなのかと思っていたんだけど、墓前でのお囃子の奉納だったんですね。
今日、郷土史研究会のK原さんに先日の墓前祭でのお礼と当日の勉強会資料拝見のお願いをしにご自宅にお伺いしました。
すると氏は夕方届けてさらには説明してあげるとおっしゃってくださいました。
画像にある兜の表紙のレジュメをいただき、本来は2時間の講義を短くまとめてお話して下さいました。
たまたま、前から自分も知っていましたが、同じく天下祭様式伝播の盛岡藩(南部氏)と忠尚公の関わり(南部家家臣を助けたこと)のことも載っておりました。
天下祭と西尾家(遠州横須賀)は、安房鴨川、奥州二本松、など他にもたくさんのつながりがあり興味深いですね。
1652様ありがとうございました。
墓前祭には何があっても参加しないといけないと思い参加させていただきました。
自分の後姿ってあまり見ないのではずかしいっすね。
みなさん、コメント遅くなってすいませんでした。
■やっぱロコクリでしょ!?さん、我が拾六軒町まで聞こえていたんですね。さすが保存会の皆さん! きっと忠尚公にも届いていたでしょうね。なんだか、想像だけでうれしくなっちゃいます(≧▽≦)
■けんちゃんさん、墓前に立ったとき、献上米が目に入り、一目でけんちゃんさんだ!と思いましたよ(^^) k原さんのお話は、歴史という観点から表現がときに厳しくなりますが大変おもしろかったですよ。
■RED MOONさん、墓前祭おつかれさまでした。今回、来横された忠愛様もお囃子をきき大変お喜びになっていましたよ。250年のときを超えてもつなっている人脈と文化って素晴らしいですね。
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